Thursday, March 31, 2011

社会研究日本131 : プロパガンダ




ありがとう、いつもこのコーナーを読んでくれている皆さん。Nochiです。

僕たちの故郷ニッポンの目まぐるしく流れる社会のニュースを「もっと多角的に知ろうよ」との思いをのせて、僕の視点でお届けします。

今回は前回の「政治キャンペーン」の話の中に出てくる「プロパガンダ」という言葉についてお話をします。じゃあ行きましょうか。






社会研究日本 131 : 政治キャンペーンに見るプロパガンダ






picture taken from viewlinerltd.blogspot.com





誘導的

「プロパガンダ (propaganda) は、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する宣伝行為である。」「Propagandaの語源は、ラテン語の Propagare(繁殖する)に由来する。」とwikipediaでは定義されている。

簡単にいえば、人の考え方や価値観や社会的意識などを何かの方法である方向へ向けさせる、もしくはある所から背けさせる為に行われる。かなり情報操作の要素が強く、多くの場合は政治的な利害の為に行われる。

言い換えれば、素晴らしく高レベルの誘導的な「キャンペーン」。しかも「何」を「どうやって」プロパガンダしたいかによって、ターゲットとなる「人」も特定少数のグループだったり不特定多数だったりする。

特にテレビや新聞などの「マスメディア」は、一度で世界人口の多くをターゲットにできるので最重要プロパガンダ媒体になっている。

アルファベットで「Propaganda」とウェブ画像検索してみよう。素晴らしく興味深い政治的なメッセージの写真が一杯出てくるよ。



人間性

プロパガンダを行うのも、そのターゲットとなるのも僕たち人間。人ならば、自分に都合のいいことは世間に認知されたいから強調する。

逆に自分にとって都合の悪い事は黙ったり隠したりする。ご都合主義という言葉があるぐらいだから、僕ら人間にはこういった性格が備わっていると思う。

もしあなたが権力欲の強い政治家や思想家だったり、国家や宗教団体や政党や企業などの社会的権力のある組織のボスや幹部だったとしたら、あなた自身の後ろめたいところを世間にさらけ出して世論を敵に回して自分自身の株を下げるようなことはしたくない。

それよりか、自分にとって有利な状況へ持っていきたいだろうからマスメディアでも何でも使って情報操作をするはず。それが出来る立場なんだから。

つまり僕らが日頃得る情報には、想像以上に多くのプロパガンダが含まれていると思っていた方がいい。もしかしたら、あなたのその考え方や価値観・意見なども誰かに刷り込まれたものの可能性が大きい。

せっかくだから HIbikilla の No Problem というアルバムに入ってる「ありえない」という曲をもう一度聴き返してみよう。何か心当たりが見つかるかもしれない。



Upside Down

どんなに愛する人でも、どんなに素晴らしい人でも、どんなビッグマンでも、打算的でずる賢くて都合のいいヤな部分はある。だからプロパガンダしちゃうってのは、人間が持っている「毒」のようなものだと僕は思う。

「毒」と言っているが、だからと言って「悪い」とか「不必要」だとかではない。 なぜなら人はそれぞれが内面に矛盾を抱えているように、プロパガンダも使いようによっちゃ「素晴らしい」方向へ持っていけると思うから。

観点をひっくり返してみよう。「変毒為薬(へんどくいやく)」という言葉が仏教には存在する。知識と経験と心持ちによって毒でも薬になる、という意味。

例えば理想論だけど、社会全体がオーガニックでグリーンで維持可能な循環型社会の発展の為のプロパガンダを連発したらどうなるだろうか?

一部の輩は困るだろうけど、今よりも確実に社会全体の「幸福度」は格段に上がると思うし、皆それぞれ元気がアップすると思う。そして、そもそもの「幸せの物差し」が変わると思う。



要約

プロパガンダは、使い方によっちゃ社会全体の利益となるだろうしポジティブな方向へ持っていけるとも思う。

見方を逆さまにしてみると、実は信じていたことが大したことでは無かったり、今まで見えてなかったものが非常に重要な意味を持つこともある。

毎日僕らが触れるニュースや広告には、プロパガンダが大いに含まれていると思ったほうがいい。プロパガンダの無い社会は想像しがたいぐらい。

だから、自分なりにそういった視点を気にしながらニュースや広告を見ていくのは、社会の中での「ソーシャル護身術」として非常に大事と思う。