Sunday, December 19, 2010

気読道

どうやら「空気を読む」とは、とてつもなく奥が深い様である。


政治スキルの様であり、精神論の様でもあり、マーシャルアーツ的なものでもある。




「気読道」







nochi

Saturday, December 18, 2010

Saturday, December 11, 2010

Anz Art Films







this short film Anz Art Promotion is so wabi-sabi japanese style n is recommended by the independent film director n producer of World Cruise 2010.






Friday, December 10, 2010

Sheikh Jarrah, East Jerusalem





記録されてる歴史上ずーっと対立・戦争が続いてるエルサレム。これはその東側「Sheikh Jarrah」で起きてることをドキュメントしているフィルム。アラブ人の主張、ユダヤ人の主張、両方の側からの主張が記録されている。




Thursday, December 9, 2010

World Cruise 2010





this documentary is so well shot as if you are there.
filmed by a japanese man named egawauemon on youtube.
and his twitter account is here.



Wednesday, December 1, 2010

Home 101: Home






Home, that's right, it's home, your home, my home, our home, home of us all.

読んで字のごとくホームです。知ってるようで意外と知らないかったですが、日本語に訳すと多数の意味が出てきます。

辞書を引きますに「家庭」「自宅」「故郷」「本国」などが出てきます。どうやら「家庭生活の中心となる場所」や「心の安らぐ場所」との意味合いになってます。 the が付きますと「生息地」「自生地」「所在地」「原産地」「本場」といろいろひとつの単語で意味があります。

この youtube で観れる Home、えらいことになってます。現在の地球のありとあらゆる場所や自然の状態を上空から撮影して、同時にナレーションで地球の歴史も辿りながら、問題提起と解決案を提示していきます。ドキュメンタリーであり、フィルムであり、1 時間 33 分もの視聴覚教材です。

英語、ロシア語、フランス語、スペイン語、アラビア語、ドイツ語バージョンがあり、合わせて 2250万回も再生されてるビデオです。

「youtube で観れる最も重要なビデオ」とも称されております。

言葉が聞き取れなくても、観ながら聞き流してるだけで、なんとなく伝わります、感じます、考えさせられます。

一見必須です。




Tuesday, November 30, 2010

社会デザイン 463 : 油化装置






読んで字のごとく、油にする装置。何を?プラスチックごみです。発想の逆転だから、もうプラスチックごみは「ゴミ」じゃない時代に入ってるんだ。資源なんだ、リアルに。

開発者の伊東昭典氏によれば、「石油から作ってるんで、必ず石油にさほど難しくないプロセスで戻せるんじゃないかと思って」。


伊東氏が代表取締役を務める株式会社ブレストのサイト。

映像は国連大学の環境ウェブマガジン Our World 2.0 から。





Thursday, November 25, 2010

社会科学 103 : コリア半島の北と南






先日の朝鮮半島での南北コリアによる衝突の事件。日本語メディアが流すものは、話も映像も大体ドコも「北朝鮮アブナイ奴だ。敵だ。悪だ。」「許されない。何とかしないといけない。」と言っている。

んー、ワタシまた何か一つ納得がいかない。そんな気持ちで軽く今朝は呟いてみたので、そのつぶやきを下記に置いてみた。


-韓国側は、北朝鮮側が先に撃ってきたと言っているが、北朝鮮側は、韓国側が先に撃ってきたと言っている。(中略)これらの先例からすると、今回の南北間の砲撃戦も、北朝鮮が先に撃ってきたと断定しない方が良いだろう。

-米軍は、演習をやっているうちに紛れて本当の戦争を起こしてしまう傾向がある。

-韓国軍は米軍の傘下にある。韓国軍はこの日、北朝鮮の沖合12キロにある韓国領の延坪島の周辺海域で、軍事演習をしていた。

-01年の911事件でも、当日ニューヨークでハイジャックテロ対策の演習が行われており、航空管制官らは、演習なのか本物なのか判断できず対応が後手に回り、軍産複合体が望む「テロ戦争」が始まった。

-1990年のイラクのクウェート侵攻は、イラクがクウェートに侵攻するシナリオで米軍が演習をやって、米国がイラクのサダム・フセインを挑発して侵攻を誘発し、米軍がイラクに「百倍返し」して湾岸戦争を起こす策略

-上から下まで「鬼畜米英・神国必勝」と軽信して惨敗し、敵だったはずの相手に60年以上も魂まで差し上げて傀儡国に成り下がっている短絡的な愚行を繰り返してはならない。 



とここまでは「田中宇の国際ニュース解説」から気になったフレーズを抜粋つぶやきしただけ。で、更に自分の言葉で続けた。



-アイジアタイムス読んだら、今回の半島での事件の扱い「米国と韓国は・・・」の書き出しで始まっている。「北朝鮮が・・・」で始める日本のマスメディアと観点が大違いだ。

-RT(ロシアのニュースソース)は「北と南のコリアが・・・ で US dollar が上がってきている」と言ってる。




日本では、マスメディアも国会もこぞって「北朝鮮アブナイ奴だ。敵だ。悪だ。」のトーンで話してる。これを観察してると、ココでもキャンペーンは続いてると感じる。






Thursday, November 18, 2010

社会研究日本 101 : 尖閣騒動


ワタシたちが生活してるココ日本、毎日目まぐるしく流れる社会のニュース。日本国内のテレビ・新聞・雑誌などの「マスコミ」と呼ばれるマスメディアが伝えるニュースは、「良くも悪くもジャパニーズスタイル」とワタシの目には映っている。

インドで聞いた「盲人たちと一匹の象の話」の様に、ワタシ個人の考えとしては、一つの出来事についてもいくつかの解釈があると思っている。

今回は、そういった社会ニュースを「もっと多角的に知ろうよ」との思いで、ワタシの視点でブログります。今日のお題は、尖閣騒動。




社会研究日本 101 : 尖閣騒動に見る政治キャンペーン





picture taken from wikimedia commons



キャンペーン

マスメディアによると、「日本領近海で不法に漁をしていた中国漁船を注意したら体当たりしてきた。捕まえたら中国が逆ギレ。各地で抗日デモ、アブナイ中国。立ち上がれ日本。」大体こんな感じ。でも、他の観点はどうなの?

ワタシは「これは誰のキャンペーンだ?」と考える。

この視点のベースは、さかのぼること 2001 年の米国 911 事件以来の経験から。あの事件、マスメディアが伝えた米国政府発表の内容は作り話やウヤムヤ話が満載だった。でもアメリカ国民は政府を信じ、そして世論は動かされた。日本社会もフォローした、そして国際社会も巻き込まれた。しかし、それは作られたストーリーだったと気づくのには数年かかった。しかし、すでにアメリカを取り巻く状況は大きく変わっていた。それが、国際社会での情報戦。

だからワタシは、マスメディアの国際ニュースを読むときは何かプロパガンダが入っている可能性が強いと思って見聞きしている。


それでは、この尖閣騒動においてのキャンペーンポイントを見ていこう。


約束破り

国際ジャーナリストの田中宇の国際ニュース解説によると「最初に喧嘩を売ったのは日本かもしれない」と伝えている。

「え?どうゆうこと?」

田中氏の解説によると、1978 年日中友好平和条約を結んだ時、当時の中国のボス、鄧小平(トウ・ショウヘイ)の提案により「尖閣については、この先 50 年は棚上げして日中間で外交的に敵対しない」と合意の上で約束。そして、1997 年に結ばれた日中間の取り決めで、尖閣周辺の北緯 27 度より北の海域には漁業協定が設けられた。

でも、今回日本の海上保安庁が中国漁船を捕まえた地点は協定水域外の北緯 25 – 26 度付近で、そこは何も協定が存在しない海域だという。ここで問題なのは、中国が怒ると分かってるのに海保が日中間の約束を破り日本の法律で漁船長を起訴すると宣言したから。


あの尖閣流出ビデオ見たけど、確かに中国漁船は日本海保船にぶつかっている。しかし本当に日本のマスメディアが伝えてるような状況だったのかは、今のところ判断できない。
しかも、漁船による体当たり行為は海保側が誘い込んだ可能性がある、とも言われている。

じゃあ「は?なんで?」と疑問が出てくるね。今推測されているのは、A. 米国による政治誘導と、B. 日本政府内での権力争い。


煽られる僕ら


まずは、A:アメリカの政府内には、日中が敵対してる方が都合いい人達がいるようだ。海保は国土交通省の管轄。事件のあった時点での国交大臣は前原誠司氏。彼はこの直後、外務大臣に就任している。外務省は対米従属派がハバを利かせている機関と言われていて、アメリカにとってはあやつり易い。今回の事件は、米国が何かもっと大きな作戦の為に日本政府や前原氏をそそのかしてイケイケ路線でワザと日中を敵対させる絵を描いた、と推測する人もいる。

実際に、イラン・コントラ事件やアメリカ政府が表では「麻薬撲滅戦争」とキャンペーンしていたものが実は麻薬の密売でぼろ儲けしてたことを考えると、二枚舌で上手いこと日本の政局や世論を動かすのはそんなに難しくないと思う。

そして、B:僕らの政府内にも、日中が敵対してる方が都合いい人達がいる。第2次大戦以後続く日米同盟の権益に固執している連中にとって、日中間でいがみ合う何かがあった方が「自分たちは正しい、中国とは仲良くしない方がいい」という可能性。
あれ以来、日本でも熱心なメディアコントロールにより国民感情を刺激されている。

あらら、まじで?

んーやはり、一連の騒動で僕らは煽られているみたいだね。

「そんなの今に始まったことじゃない」と言う意識のはっきりした日本人も少なからずいる。近代に入ってからは、キャンペーン仕掛ける人たちが違うだけで、日本が関わる国際的なニュースの陰にはいつもアメリカがいる。

だいたい、一見したところ客観的なマスメディアの言い分は、出来のいい「演出」が散りばめられている可能性が強い。それは彼らの作戦の一つだから、むやみに信用しないよう気をつけよう。実際はもっと重大な出来事が起きている。例えば、このタイミングでロシア大統領が「日本領」である北方領土に上陸したのに、「ロシアが実効支配している」からメディアは大してニュースにしない。あれ、この件は騒ぎ立てないの?


要約

2001 年当時 911 関連の政府発表に異論を唱える人は一部の人たちだけで、大多数のアメリカ人たちは政府発表のストーリーを信じていた。

ワタシの目に映る今の日本、尖閣騒動に関するメディアの伝え方、すごく 2001.911 の状況に似てる。なんとなく感情論で世論が一つの方向にもって行かれ、肝心なところから目をそむけさせられている気がする。

見た目は日中二国間の問題だけど、後ろにはもっと多くの国がそれぞれの思惑で控えている。なのでワタシは、やれ「ナントカだ!」、いや「アンチナントカだ!」という気になれない。


母 国を思う、色々勉強する、考える、熱くなる、声にする、行動する。どれも大切だし素晴らしいことと思う。でも国が変われば立場や観点も違うし、「何が正しい」 「何が大事」も変わる。だから自分の観点で主張をして、反対意見の人や異議を唱える人たちとは根気よく建設的に話しをすることが必要と思う。時間かかるけど相互理解を深めて中間点を見出したい。それが出来ないんじゃ、結論は急がない方が いい。

とにかく冷静にならないとダメだ。
マスメディアが流す政治キャンペーンを鵜呑みにすると意識をもっていかれる。本質が見えてないのに実は誰かに踊らされてたなんて、なんか残念だもんね。



Saturday, November 13, 2010

Dancehall de España






el último trabajo de Shinjiman


Shinjiman の最新作



この Shinjiman という deejay、スペイン人です。スペインに住んでます。去年か一昨年に渋谷で会いました。毎週火曜心配無用の PHT にひょこっと遊びに来てて。

「日本で東京で火曜日のパーティーと言えばココでしょ?」って。

そんな彼の最新作。








Friday, November 12, 2010

社会科学 102: 大麻住民投票否決


以前にお伝えした米国カリフォルニア州のレクリエーショナル用大麻の合法化法案(プロポジション 19 )は、11 月 3 日の選挙民投票で否決された。

結果は、賛成 46%、反対 54% で僅差での否決だった。






そしてインターネット上でちょっと読み進んでいくと、 2 つほど興味を引かれた。

1. 反対票を投じた選挙民には、人種やクラスなどの偏りはないこと。これはワタシが思うに、人種・所得・教育レベルに関係なく個人的なレクリエーショナル用大麻が大衆化していることが見とれる。

2. また現在のカリフォルニア州の大麻産業地域の住民もかなり反対票を投じた。これは、もし合法化されると大手企業によって自分たちの生活が奪われてしまうとの不安から、と言われている。見方を変えれば、地場産業及び地元文化を守る行為とも解釈できる。


しかし、日本での大麻に対する目に余るネガティブキャンペーンとそれを真に受けてる社会住民とを比較すると、カリフォルニア州の住民には、実際に大麻と上手に付き合っていく上での基本的な社会的受け皿が整えられている。

先月、同州知事のシュワルツネッガー氏がサインした法案により、大麻所持が法の取締官にもし見つかっても 1 oz (28.5 g) までなら交通違反と同レベルでの扱いで罰金も最大で $100 以内、逮捕もされないし犯罪歴もつかない。

彼はこうも言っている、「アナタが大麻を吸うとか吸わないとか、誰も気にしてないよ」。


現在、米国では 14 の州と首都ワシントン DC で医療用大麻が合法化されている。




Sunday, November 7, 2010

ラテンアメリカ中級 45B : 陸路メヒコ出国


ラテンアメリカ中級 45B : 陸路メヒコ出国 <ヌエボラレド編>


2 回目にメヒコを陸路で出国したのは 2004 年夏。メヒコ・タマウリパス州のボーダータウン、ヌエボラレド (Nuevo Laredo) からアメリカ・テキサス州ラレド (Laredo) へ出国した時。ここは、リオ・グランデという川が国境になってる地点。


photograph taken from wikipedia


ボーダーまで

当時はアメリカの大学に所属しながら、スペイン語勉強とラテンアメリカ研究のフィールドワークを現地で実践してる時。ちょうど夏休みに入り、コスタリカを出てメヒコ経由でアメリカに一旦戻る、ってゆうタイミング。ってゆっても、アメリカにずーっとキープしてるアパートなんて無かったし、でかいトラベルバッグ転がしてバックパック背負って、って見た目はただの放浪者だったけどね。

とにかく、その夏はロンもマーシャもメヒコのグアダラハラにある実家に帰ってたし、彼らファミリーの家にステイさせてもらって、休みを満喫してた。食べ歩き、観光、散策、週末はバーベキューに夜はドレスアップしてパーティー。慣れないことばっかだったけど、その居心地のぎこちなさがモロ異文化体験でかなり楽しかった。ついでに歯医者にも通って、親知らず 4 本ともココで抜いたなあ。

週末はかなり頻繁に、ロンのお父さんが手掛けてた「ランチョ」と呼ばれる天然温泉付バケーションハウスまで出かけて、昼間からテキーラとマルガリータ飲んで、温泉プール入ってマッタリして、夕暮れを楽しんで、後はキャンドルライトと共にチルアウト。(今はちゃんと電気が通ってるよ)

で、いー加減 1 ヵ月以上滞在したし、そろそろアメリカ戻って次のセメスターの準備をしなきゃと、外人だしちゃんと書類のケアしとかないと、とアメリカに戻ることにして。時間はあるから、バスで行こうと決めた。メヒコの長距離バスは、日本の長距離バスかそれ以上の綺麗さと快適性があるしね。

で、バスに揺られやってきましたボーダータウン、ヌエボラレド。川を渡ればテキサス。


徒歩で越境

橋の手前のバスターミナルで降りて、荷物持ってテクテクと歩いて橋を渡り、おー見えてきましたアメリカ。国旗がアピールしてる国境警備最前線。この時はちゃんとパスポート持ってるし、ビザもあるし、何も問題ないぞ、と余裕の気持ちで入ってったよ、アメリカ側の国境検問所。

その小さい検問所では待ち時間もなく、入ってすぐにパスポートを出して、毅然とした態度の白人担当官から質問が始まって。外国入国の際のカスタムでのチェックは慣れてた、とゆう自負もあったし、大体聞いてくるのは、入国の目的、滞在期間、関税に申請するものあるかないか、とかでしょ。


嫌味なカスタム

ただ、俺が日本人でジャパニーズパスポート持ってて、アメリカの大学生のくせに学生ビザ持ってなくて
、でメヒコから陸路で入国しようとしてて、まあ、なんだコイツはと思ったんだろうね。
(アメリカ国内で週 20 時間以上クラスを取っていないと学生ビザを発行してもらえない。俺はアメリカの大学生だったけど、実際に住んでたのはコスタリカだったから学生ビザは持ってなかった)
そしたら、彼はしつこくいろいろ聞いてきた。

「なんでアメリカのカレッジの外人生徒なのにビザがないのか?」
「なんでコスタリカに住んでたのか?」
「なんでメヒコから陸路アメリカに入国するのか?」
「コスタリカで、メヒコで何をしてたのか?」
「アメリカで何をする予定なのか?」
「なぜその必要があるのか?」

とこれだけじゃないけどね。とにかくいやらしいトーンで聞いてくるわけですよ、彼は。そのうち俺も、ウザいし付き合うのに面倒臭くなってきて、その質問もうしたっしょ、と。で、はいそーですよ、いやそれはこーですよあーですよ、とちょっと適当に対応しだしてきて。そしたらその担当官、

「なんだ、どうした?急いでるのか?」
「急いでるも何も、質問に答えてるでしょ。」
「じゃあ、落ち着け。」
「オーケー、でも何回も同じ質問しないでね。」
「やっぱり急いでるのか。お前怪しいな。」
「何回も同じ質問したりして、こっちも嫌になるでしょ。」
「何だお前この野郎?」
「この野郎じゃねえっしょ?早く終わらせて俺のパスポートにスタンプくれ。」
「Hey you, stay right there!」
「・・・?」

そしたらすぐ横の扉が開いて、これまた力自慢が趣味っぽいマッチョな若い白人ボーダーパトロールの兄ちゃんがすごい形相で出てきて、俺をつかんだと思ったら、無理やりアメリカ側の部屋に連行してって。

「バシンバシン、ガツンガツン、ゴン!」

と、力ずくで関節技かけてきて、俺、気づいたら後ろから首根っこ掴まれて壁に顔面押しつけられ、両手は後ろ手にロックされ、両足はバシッと広げられ、身動きとれません、の状態。

よく、ハリウッド映画でポリスがストリートで捕まえた奴を、ポリスカーのボンネットに押しつけてるあの絵。数秒であの状態にされて。

そしたら、その若マッチョは俺をずっと壁に押さえつけたままボディーチェック。最初の担当官は、何やらヒステリックにわめきながら俺のキャリーバッグとバックパックの中身をがっさがっさ荒らしだして。これじゃどっちが強盗か分かりゃしない、のレベル、マジで。

「お前何か持ってるだろ!」
何も違法なものは持っていない。
「お前のその態度は絶対怪しい!」
「何も持ってないし、何もしてない。」
「え、何か持ってるに違いない!」
「だから、もう言ったでしょ。」
「どこに隠してるんだ!」
「もう 2 回も同じ質問に答えた。」
「このやろーこのやろー」

と、彼は俺の唯一の持ち物を全部床じゅうにぶちまけて。結局何も出てこなかったし、疲れたのか、テンション下がってきて、ようやく冷静に話しが出来る状態になって。若マッチョももういいと思ったのか「もう行っていいぞ」とか言って俺のこと解放して。いやあ、もういいぞって俺のセリフなのになあ、本当。


引っ掛かっちゃったイラつかせ作戦

まあ、結局しぶしぶその担当官は俺のパスポートにスタンプを押すという、基本的な彼のジョブをやっと行い、おれもスタンプさえもらえば後はバイバイ。むかついたけど、口論でもフィジカルでも戦ったらまず勝てない相手だし、意味ないしそんなのにエナジー使うの、と綺麗にパッキングし直して検問所を出た。

その後、アメリカ側のラレドからグレイハウンドに乗り込むまでは長かった。

あの時は、まじでアメリカの田舎白人は容赦しねえと思った。
差別的意識強過ぎなのか、偏見でイカレテルのか、テキサスのボーダーパトロールは。俺もかなりストレートだったけど、あれはやり過ぎでしょ。ワザといらつかせる作戦でまんまと乗っかっちゃったら、それ見ろとシメてくる。意味分かんねえね。付き合っちゃった俺がバカだった、と今は思えるけど。

とにかく 2001.911 以来、アメリカの入国審査は、表立って明らかに入国者をイラつかせる作戦に出てると思う。それワザとでしょ、ってくらい好戦的。ここ 3 年はアメリカに入国してないから現状は分からないけど。この時はモロそれに引っ掛かっちゃった感じ。今後は、もっと冷静に、心を落ち着けて対応したい。






Saturday, October 30, 2010

ラテンアメリカ中級 45A : 陸路メヒコ出国


ラテンアメリカ 中級 45A : 陸路メヒコ出国
 <ティファナ編>


ワタシかなりお気に入り、メヒコ。その文化と人々。もーメヒコのカルチャー、人々、飯、飲み物、匂い、カラフルな色、彼ら独特の仕草に会話のペース・・・。とにかくメヒカーノ達とメヒコ料理を食って、メヒコドリンク飲んで、メヒコ音楽で踊って、メヒカーノ達と遊んでるときはリアル異文化交流でかなり楽しく学んだね。で、合計で 2 年弱ほどメヒコに滞在してたんだけど、そのうち 2 回ほどメヒコから陸路でアメリカに戻ったことあるんだけど、その 2 回両方とも簡単じゃなかった。

今回は、お話なのでワタシ普段話すみたいに書くね。


パッシング国境

最初に陸路でメヒコ出国したのは、2001 年。当時カリフォルニアのエルエーに住んでてやっとローカル友達が出来た頃で、一番仲良くなったのが、ロン。彼はメヒカーノ。生まれも育ちもメヒコ。15 才の時にお父さんのいるエルエーに引っ越してきた。他にハーフメヒカーノにハーフ何か他の人種、な友達とかも出来て、10 人ぐらいのグループでよくハングアウトしてたけど、アジア人は俺とマットだけ。

ハングアウトしてたエリアは大体、近所のハイランドパークっていうフッド。ちなみに、カリフォルニアは 19 世紀までメヒコ領だったし、エルエーでも基本的に観光地じゃない限りどこへ行ってもメヒカーノを見かけた。

はい、でマーシャっていうロンの妹と彼女の友達ともよく一緒になってハングアウトしてたんだけど、彼らの卒業タイミングでみんなでメヒコへ行こうと、軽いノリで決まって。じゃあ、どこ行こうかと。すると、これまたハーフメヒカーノのソニーって友達のお父さんがローサリートの近くに貸別荘持ってるし、ローサリートにはカリフォルニアキッズのスプリングブレイクでおなじみスポット Papas & Beer あるし、って。じゃあそこ行こうってなって。

ボーダーからすぐだし、みんな気軽に行こう、と。で、マーシャが「ピクチャー ID 忘れないでね。帰りに必要になるから」と。はい、俺ちゃんと持っていきましたよ、カリフォルニア州ドライバーズライセンス。

で、俺のホンダ・シビックとティファニーっていうブロンドガールのフォード・マスタングと 2 台に 4 人ずつ乗って行った、ローサリート。

で、 2 泊か 3 泊ほど食って飲んで踊って、エンジョイしたからじゃあ帰ろうか、って。まあ普通にまた 2 台に分かれて乗って、来た道を戻って。で、来ました アメリカとメヒコのボーダータウン、ティファナ。Manu Chao のあの有名な歌 welcome to Tijuana, tequila, sexo, marijuana. のティファナ。実はココ、行きはスイスイとノーチェックでパスできたのに、帰りはチョー渋滞。


Border Line San Ysidro-Tijuana

photograph taken from flickr, courtesy by saxxon57


ルールはルール

あらー、なんて現実。アメリカからメヒコに入国はイージーなのに、メヒコからアメリカ入国はかなりトラフィックジャム、まじで。しゃあないな、とノロノロと順番待ち。で、やっと俺らの番が来た。もちろん、ボーダーパトロール達の表情はシリアス。ジョークとか、スマイルどころでもない。

はいー、で俺ドライバー。「こんちわーオフィサー、調子はドウすか?」なんて慣れた感じの英語でカジュアルにコミュニケーション。彼は、はいはいと事務的に車ん中の全員の ID をチェック。「へー、アメリカとメヒコの関係は素晴らしいな、ID だけで国境スルー出来るんだー」なんて言ってるところへ「ヘイ、ユー」とオフィサー。

「お前、パスポートはドコだ?」と、更にシリアスな顔つき。
「持ってないよ。」
「じゃあアメリカ入国できない。今すぐ車を降りろ。」
「・・・はい?どうゆう意味?」
「お前は外人だろ。パスポート持ってなければアメリカには入れない。」
「いやいや、観光客じゃないよ。エルエーに住んでるよ。いま ID 見せたところでしょ。」
「彼らはアメリカ人だ。 ID だけでいい。おまえは、外人だ。パスポートがいる。」
「・・・マジで?ジョークでしょ?」
「シリアスだ。早く降りろ。」
「何言ってんの、オフィサー。みんなと一緒だよ。だから大丈夫。行かせてよ。」
「Hey, I'm not joking. 」
「・・・」

いやー、もーここら辺からテンパってきて、どーしよか、と。俺の車だし、俺だけ・・・ どうなるの?ドコ連れてかれるの?いや、マジで?なんか笑えてきた、その状況に。

とにかく、パスポートがないことにはラチが開かないのはすぐに理解したから、じゃあパスポートが必要。で、ロンに俺のアパートのキーを渡して、パスポートの置き場所を教えて、ボーダーからエルエーの往復運転をお願いして。オフィサーにもその状況を説明して、とにかくケアレスミスだった、と。

「じゃあ、俺は待ってるから、ここで。」って、一人車を降りて、俺の車なのに。ロンは半分笑いながら「じゃあ、ゆっくりしときな。スグ戻ってくるからな」と、彼のガールフレンドのメリッサともう一人乗せて俺の車で国境パスしてって。


国境警備最前線

一人残された俺は、付き添いの他のオフィサーに案内されるがまま建物の方向に歩かされて。「まあ、キミは不法入国しようとした訳じゃないから、ノーウォーリーだ。とにかく友達が君のパスポートを持って戻ってくるまで、ここで待ちなさい。」と案内されたのは殺伐とした部屋、というかオフィスの一角。

隣に座ってる若いイカニモって感じの男は「俺は何も悪くねえんだ、分かるだろ、メーン」と俺に同調を求めるけど、彼がなんでそこにいるのか知らないし。なんか言ってたけど、忘れた。彼女がどうのこうの言ってたな。

とにかく一つのベンチにあれだけ長い間ずーっと座ってたのも、あの時だけと思う。かなり長かった。

で、その部屋、ときどき人が連れてこられるんだけど、それが、まーリアルにボーダーパトロールの仕事っぷりを見せてくれた。連れてこられるのは大体メヒカーノ達。しかも決まって後ろ手に縛られた状態で。そんな連中がロープで数珠つなぎにされてて、みんなバツの悪そうな顔してた。基本的にハッピーな状況じゃないから、みんな俺と目があった時のあのフテってるバイブスはハンパなかった。彼らは俺らがいた部屋にステイせず、どこか別の部屋へ連れて行かれてた。国境警備最前線。

「あいつらペーパー持ってねえんだ。いるんだよなー、ペーパーが。分かるか、メーン。」とあの男。
「ああ、俺はパスポートだな、持ってなかったのは。」
「お前何人だ?」
「ジャパニーズだ。」
「ついてねえな。」
「間違いない。友達はみんなパスしたけどな ID だけで。」
「じゃあお前も次はパスだな」
「だな。」

なんかこんな感じで会話した記憶がある。で、あー俺ギリセーフだったんだ、と。


時間差

とにかく、ロンが俺のパスポート持ってボーダーまで戻ってきたころには日も暮れ、腹もかなり減ってた。 7 時間オーバー待ったか。あー、マジ疲れた。ありがとう、ロン。こんな時間まで、と。・・・あれ?ティファナとエルエー、急いで往復したら、6 時間ぐらいじゃない?ロンに聞いてみた。

「マジでありがとうな。かなり時間かかったもんな。パスポート見つけるの大変だったっしょ?」
「いや、すぐ見つかったぜ。」
「あ、そう。じゃあ、安全運転してきたんだ。ちょっと時間かかったもんな。」
「いやー、ノーチ、日本車はやっぱいいな。燃費良いし、室内が広い。」
「・・・何の話してんの?」
「いやー、ノーチ、ちょっと路肩に止めてな。」
「路肩?ハイウェイで?そうか、運転疲れて。」
「メリッサがなあまりにも可愛くてな。」
「・・・ん?」
「シート倒したら、シビックかなり広いぜ。もうそりゃ bang! bang! だぜ!」
「what ju say, Ron?」
「Nochi, I chaka-chakaed in the car.」
「what the... 」
「Haha-, I'm a man, Nochi!」

メリッサもメリッサで、「本当よノーチ、ちょっとだけね。」とか、あんまり照れた様子でも悪びれてる訳でもなく。で、ロンは「俺は男だぜ」と、満足気で自信マンマン。二人ともなんかスッキリした顔つきしてて、まあ、メヒカーノは情熱的ね、ってことか。

俺も俺で、もとはマーシャが ID だけでいいと言ったものの、外人であることを忘れて、国境越えるのにパスポートを持ってなかった自分のバカさもあったし、ワザワザ二度手間してくれたロンへの感謝の気持ちもあったし、あんまチャカチャカの件は気にならなかった。彼も「大丈夫、こぼしてない」って言ってたし。

とにかく、どこにいようと国境を越えるときはパスポートは最重要。







Tuesday, September 28, 2010

社会科学 101 : 大麻住民投票

Photograph taken from The Week

11 月非犯罪化住民投票

日本では、無許可の所持や栽培が特定の取締法によって行き過ぎた規制をされている大麻(マリファナ)の扱いは各国・各自治政府によって様々です。この大麻の行政的な扱いを住民の投票によって決めようとしている行政があります。それが、米国”なんでもあり”カリフォルニア州。美味しいワインが生産され、多くの日系人によるコミュニティーを持っていて、元ターミネーターのシュワルツネッガーが知事をしていて、ボスドッグのスヌープが長年に渡り親しまれていて、と私たち日本人にとっても親しみがありますね。

2010 年 11 月に行われる米国での中間選挙のタイミングで、同時にカリフォルニア州では大麻の非犯罪化(合法化)の是非を問う住民選挙が行われます。同州を含め米国の複数の州では現在、医療用としての大麻は法規制の罰則対象になっておらず、我々日本人よりも彼ら米国人にとって大麻は既により身近です。

今年の春の時点での Los Angeles Times 社と南カリフォルニア大学の共同調査によると、「去年 1 年を見て、有権者の 3 人に 1 人以上は大麻を試したことがあり、10 人に 1 人以上は燃やしたことがある」となっている。しかし、私が住んでいた頃の経験をベースに見たら、実際は「4 人に 3 人以上は試したことがあり、3 人に 1 人以上は燃やしたことがある」になりますね。


賛成多数のポイント

2010 年 9 月 28 日 5:30AM の時点での yahoo.com "Ask America" によれば賛成 62%、反対 38% となっていることから、有権者の過半数が賛成票を投じるのが予想されます。

現在のところは米国が定めるアダルト年齢の 21 才以上が対象になっているこの法案がパスされたら、個人的な使用において:

A. 1 オンス (約 28.3 g) までなら所持・共有・輸送が可能
B. 1 区画もしくは 1 世帯につき 25 square feet (約 0.7 坪) まで栽培可能
C. 違反者にはアルコールや駐車違反などと同等の罰則

この様な規制が適用されることになる。

そして市や郡には、商業用大麻の生産や販売に対して税金を課することが出来る権限が与えられる。このお金が絡んでる話が、今回の重要なポイントなんです。

現在カリフォルニア州では、かなりの財政危機と言われていて、州住民に対する奨学金・福祉手当・還付金などが支払えない状況になったり、州職員の給与を最低賃金の時給 $7.25 (約 620 円)に下げたりといろいろやってるがどうしようもないらしく、とにかく何をしてでも税金でビッグマネーが欲しい状況に立たされている。


メリットとデメリット


それでは、この法案が通ってどうなるのか? 現在のところ予想される主な経済効果や社会変化のメリットは:

A. 州全体で約 $1.4 billion (約 1,300 億円) の税収が見込まれる
B. 商業用大麻生産による農業の活性化と州全体の経済の活性化
C. 不必要な囚人削減による刑務所や拘置所の混雑状況の軽減
D. 法執行に携わるオフィサーたちがもっとシリアスな犯罪にフォーカス出来る
E. C と D により年間約 $1 billion (約 1,000 億円)の税金節約

など、かなりポジティブで魅力的な内容になっており、同州の社会全体としても税収の面でもかなり期待できる。

そして予想されるデメリットは、反対者たちが言っていることの一つである学校や仕事場での影響。前出のブロガーによれば、「マリファナ反対派は、その習慣性が起こす依存症を懸念する。記憶力、認知力の低下など、常用による脳機能への障害もあるという。とはいえ、その障害がタバ コ、アルコールと比べどれほど深刻なのかは、疑問視されている。DrugWarFacts.org という団体は、年間のドラッグが原因となる死亡者数を死因別に分析し、タバコ 435,000 人、アルコール 85,000 人、マリファナ 0 人というデータを発表している。」

アルコールの「酔う」やタバコの「煙い」と同じように、大麻によって得る「ハイ」というのは労働を行う多くの場所では歓迎されないのではとの声もあるが、この部分は大丈夫であると言われる。それは我々人間がタバコやアルコールとの付き合い方を時間をかけて学び、今や市民社会において誰も職場や学校などの閉鎖されたパブリック空間では明らかにタバコを吸ったりアルコールで酔っ払っていない。規制や罰則が及ばない「モラル」というのが浸透しているからである。同じように、大麻との付き合いにもモラルが必要になってくる。


新たな問題

それよりも心配なのが、現在大麻を扱っているメヒコ系組織から仕事を取り上げ、それが彼らの元気を奪い取る結果になってしまうことだ。カリフォルニア州はゴールドラッシュが始まる 19 世紀中頃までメキシコ領であったり、大多数の州住民がメキシコ系ヒスパニックだったりと、同州の歴史や人種問題も絡んでくるのでこちらの方が一番今後の心配の種になる。

新しい勢力による新産業の創出と、その分野における古参勢力の衰退。こういったものの影響により仕事を失っていく者に対して、資本主義で民主主義な社会ではめったに論議される事がない。今回も同じようにメヒカーノたちの利権は薄くなり彼らに対しての補償や代替案などは出ないであろう。メヒカーノ達にはなんとかがんばってもらいたい。

 
要約

とにかく大麻がどうかこうか、という論点では書いていない。カリフォルニアの住民が「自分たちの社会生活のルールは自分たちで決めるよ」というのが、この同州の財政危機の中での住民投票に明らかに主張されている。ワタシはこの部分に、人々が非常に能動的に生きていくパワーを感じています。

「隣の芝はいつもグリーン」のか、こういったとき私はときどき自分の母国や地域を憂いてしまう。それは、なんとなく「そうやって決まってるから」ってだけで思考停止してしまい、「なぜなのか」「いつ・誰が・何の為に?」を考える事もなく不本意ながらネガティブキャンペーンを信じてしまっている日本・韓国・中国などの我々東アジア諸国の多くのフォロワー(信者)のことを思い浮かべたとき。

大概こういったものには、ノン・フォロワー(非信者)に対しての差別が行われる。これは根が深い。誰も差別はいやだ。みんな知ってる。でも差別は存在する。無知なのか本能なのか。してる本人たちの多くは差別していることに対しての罪悪感はないからだ。気づかない、気づけない。

我々は、もっと価値観や考え方が豊かで多様な社会に住みたいと願っている。

なるべく社会や自分達の将来を悲観的に見たくない。最近は特に強く感じる。将来を楽観的に見るのでもなく、素晴らしい価値観や社会が形成されていると信じていたいからだ。じゃあ、私はあなたは何をしているのか?どうしたいのか?これもシンプルであり考えればきりがない。自分の出来る分野で、自分に出来る範囲でいいから、更に意識を高めて行動に移す必要性を感じる。このカリフォルニア州の大麻非犯罪化への住民投票の一件からそう思う。





Friday, September 10, 2010

British Born Palestinian Hip Hop Artist Shadia Mansour Surrounded by 8 Gunmen in Israeli Airport



British-born Palestinian Hip Hop artist, Shadia Mansour was surrounded by airport security and “intelligence officers” armed with guns on Saturday, September 4, 2010, in Ben Gurion Airport, Israel.

Ms. Mansour was told to return to her luggage after a usual baggage xray and multiple searches, when eight agents ran towards her, weapons drawn and pointed, they aggressively kicked away her bags and surrounded her.

The eight agents had their guns pointed at Ms. Mansour while having her stand in the same position for one hour in suspicion of a bomb being planted in her microphone which they had in their possession for ten minutes already.

Ms. Mansour assured the agents the microphone was used for recording music and was then asked by an officer to sing her lyrics to him, they screamed at her and asked “who she worked for, who bought the microphone, what does she sing about” and as the agents and officers shouted over one another she was also told, “we have found something planted in the microphone” all this transpiring while airport goers observed the entire ordeal.

Although standard for Palestinians to be strip searched upon departure of Israel, Ms Mansour was made to lay down on her back as female agents pushed aggressively into her joints and neck.

Once the female agents finished searching her the microphone was returned and Ms. Mansour was directed to her flight en route to London as though nothing had happened.

Ms. Mansour told us “For a few minutes I really thought they were going to take my life, the way they handled the situation literally made me feel like I was an attempted suicide bomber that had just been captured or something”.

No legal action has yet been taken.

For more info contact: Nancy Leigh at Shadiamanagement@gmail.com


article taken from existenceisresistance.org