May 2003 - Aug. 2004
Aug.2005 - Dec. 2005
Guadalajara, Jalisco, and Cuernavaca, Morelos, Mexico
メヒコで体験した大事な出来事の1つに「良い加減さ」のバランス感覚がある。日本の「適当(適度)」とか「大らか」「さじ加減」に近い感じ。
例えば時間感覚。「ラテン時間」と言う言葉ががあるぐらいラテン系の人々は,一般的に「時間に大らか」と言われてて,もろオリジナルなラテンバイブス溢れるメヒカーノもそう。時間厳守か5分前登場が“当たり前”とされてるような日本社会でヌクヌクと育った俺にとってコレはくらったし面白かった。
例えばパーティーが「7 時から」だとする.大体は1-2時間後に到着したほうが間違い無し。7 時なんかに登場してしまうと逆に困惑される,「まだ誰も来てないよー,もう少ししてから戻ってきな」と。海外生活初心者の頃に,メヒカーノやコロンビアーノやベネスエラーノたちのホームパーティーでコレをやっちゃった.「あれっ?」と思い「いやー,7 時からって聞いたんだけど」なんて感じで言ったと思う.そうすると「日本人はもっとイージーに」なんてアドバイスされたりもした.
俺はメヒコのモレロ州で日本語のインストラクターもしてたけど、授業開始時間キッカリに居合わせてた生徒はほとんどいなかった。大体みんな始業チャイムを聞いてワラワラ集まり始める感じ。ちなみに彼ら生徒たちは,教室に入って一度席に着くと,熱心に俺の話しを聴いてくれたし,逆に積極的に質問する子も複数いたりして,そこらへんはメリハリついてた.
プロフェッショナル相手でも,大人相手でもメヒコでの時間感覚は大体そんな感じだった.首都の DF で行われた外国語教育インストラクターが対象の大規模なセミナーでも,開始は予定時間を少し過ぎた頃だった.医者とのアポイントメントなんかもそうだった,「じゃあ次回は 14 時で」なんて言われ素直にホイホイと時間通りに登場すると、彼はコーヒー飲みに出てて.「まあそれくらいはいいか.日本人的キチキチは忘れて大らかに」など思いながらドクターの戻りを待って.はい,ドクター戻ってきた.そしたら「お,ノチ,元気?じゃあ、前の人が終わるまでソファでゆっくりしてて」なんて言うし。「えー、前の人って?」
メヒコに住みだして半年ほど,そこまで大らかに理解できなかった俺は軽くメンタルヒステリックを起こした。「ムキーッ!何でやねんメヒカーノ!」って。近い存在のメヒコ人とメヒコ生活 25+ 年のアメリカ人の友人たちに,時間感覚についての俺の納得できない気持ち,不満などを伝えてみた.簡単だったねー「落ち着けノチ,ここは日本じゃない.ここはメヒコ.そうゆう所だし,メヒコ人ってそうゆ人たち」.で,次に思ったのが「ちょっと待てよ、もしかして俺の心が小さいダケか?自分の主観が通らないことダケに不満を覚えて,なんでそうなのか原因を考えてなかった・・・」と,解決策を自分の中に求めた.
そうすると面白いことが見えてきた,憶測でしかないけれど,「・・・だから,シッカリしてるのに不本意ながらストレス溜め込んでふさぎ込んじゃったりして,最終的には人間の最も豊かな部分の一つである「感情表現」が欠如してるとかあーだとかどーだとか言われる日本人が多いのか?」と.
こうなると一つの個人問題は,その地域に住む不特定多数の人間たちの地域問題の一部分を担っていて,それは外から見れば「文化」であるから,拡大解釈したら「文化問題」になる.そう考えるとこれからの日本文化の進展を考えれば「大らかさ」は必要不可欠な要素になるね,確実に.