以前の記事「世界動向入門 103A: アフリカの今」からの続きです.
ダンビサ・モヨ
僕は,この「Dead Aid (無駄な援助)」の著者である Dambisa Moyo (ダンビサ・モヨ)の言い分にすごく強い共感を持った.やっとこういった人がグローバルステージの表舞台に出てきたのかと思うと,かなり頼もしく思えるし,もっとこうゆう人や意見が世の中に出てきてほしい.
youtube で彼女がテレビ出演している様子が見れます.もし英語が理解できなくても,彼女の話し方から伝わるものはあると思います.
1.on Bloomburg, 3/26/2009
2.at Oxford Literacy Festival, 4/17/2009
3.ノルウェーのニュース番組,司会者と政治家, 4/18/2009
犠牲なのか協力なのか
この類の声は,僕が中南米やインドに滞在しているときに頻繁に耳にしたフレーズ,「我々は彼らの内政干渉に対してノーと言わなければならない」に似ている.(ここで言う「我々」とは現地の農民や労働者などの「人」,そして「彼ら」とは資本主義的なヒトやモノなどの「システム」.)
こういった感じのグローバリゼーションの問題を僕なりに解釈したら,「自分たちのことは自分たちでするから,とにかくほっといてくれ.どうせお前たちは”援助”とか言ってるけど,要は我々の土地の資源を奪って金にするのが目的なんだろう」となります.
でもここで思うのが,僕たちの国が繁栄できてるのは,こうゆう地域や人たちの・・・ 犠牲と呼ぶのか協力と呼ぶのか,そういった関係性の上で成り立ってる.だから,一つの問題を見て全体を否定することって,日々の生活の基礎までも否定してしまうことになるので,かなり複雑な気持ちです.
ニカラグアでの違和感
話は戻って「Dead Aid (無駄な援助)」ですが,僕も以前から「先進国」が「発展途上国」に”施す”金銭援助の実態にいっぱいクエスチョンを持っている.その主な原因の一つに,中米コスタリカに滞在中の2003年,隣国ニカラグアへ社会問題の研究で訪れた時の経験がある.
僕たちはまず,ニカラグア首都マナグアの貧困地域で井戸掘り活動などしている日本の国際開発機構 JICA のオフィスへ出向き,担当官へインタビューしたりした.また今度は現場で従事している,あるアメリカ人青年団体メンバーたちと,ニカラグア人コミュニティーの家々を建てるのを手伝ったりして一緒に動いた.
正直なところ,そのとき僕は何か違和感を感じていた.
実際に現地では,援助する側とされる側の両方から「いい援助の形とは何か?」が議論されていた.それは,「裕福な人にとって,お金や中古の服や靴などの寄付が”良い事してる”的な自己満足で終わってて,逆に現地の人には”待ってれば貰える”的な依存精神を植えつけているだけ.だから逆効果じゃない?」って考え方があった.
あともう一つ,宗派とかは知らないけど,やっぱり「善いことをして神様の教えを広める」な感じのクリスト教の普及活動の思惑があるんじゃないかと,なんとなく感じてたし,それを感じる度,どうしてもわずかながら拒絶反応している自分がいたのにも気づいた.
とにかくそのときの僕たちは,彼らに服も靴もお金も何もあげなかった.だけど,水路用の溝を掘ったり,家の基礎になるブロックを積み上げたり,資材を運んだりと,彼らニカラグア人たちと一緒になって汗を流した.
これは僕たちが,「物を与えるよりも,生きていく術を教えるほうがいい」という,長期的な考え方に基づいて動いたから.
ただしこれも2週間っていうスケジュールの中でのスポット的な動きだったし,やっぱりそこに対しても思いは複雑だった.自分はバスで移動ができる立場で,彼らはその土地の人たち,って.「よそ者がちょこっと立ち寄って,ちょいちょいって何かして,うれしそうに帰っていった」ってだけじゃないか?って.一つ一 つのアクションに対して,選択肢が有るか無いかで大きな違いを感じて,かなり心が揺さぶられた.
コミュニケーション
大阪の郊外住宅地育ちの僕にとっては,この様な経験の積み重ねが生きていく上で大事であると思い行動してきている.こういった価値観を持ち合わせた人たちがドンドン繋がれば,今までの価値観でしか物事を図れない人生観が多くを占める世界で,次世代の価値観と,更なるグローバルな社会デザインに繋がると信じて,今はトーキョーコンクリートフォレストで生きている.
なので,とりあえずは... ビバ!異文化間コミュニケーション!
見聞が有るか無いか,経験が有るか無いか,コミュニケーションできるかどうか,感情移入できるか否か.こういった部分は,現在進行形で僕が直面している母国への再適応化プロセスでも重要だと思っている.
ただ,その前に僕はもっと人との付き合い方がスムースに出来る様に,「空気を読める」様に,もっと順序立てて物事進めれるようになるのが課題.
それぞれがそれぞれのユニークな経験や価値観を持ちよって,回りの人たちと円滑にコミュニケーション取れた方が,生きていくの充実しますもんね.
はい,それじゃあ共にそれぞれのフィールドでがんばって行きましょう!
we just go by genki genki!!
taken from dambisamoyo.com
アフリカ情勢やヨーロッパの政治・経済に詳しい人はすでに知っていると思いますが,今年の春頃からの話を一つしようと思います.アフリカからのエリート僕は最近,Dambisa Moyo (ダンビサ・モヨ)という女性のことを知りました.彼女は,ロンドン在住の経済学者で「Dead Aid (無駄な援助)」という本の著者.この本は,2009年の3月に出版されてすぐに New York Times Best Sellers に選ばれている.
クーリエジャポン2009年4月号によれば,「ダンビサ・モヨは,ザンビア生まれで30代.父は南アフリカ人の鉱山労働者の息子で,学者であり,反汚職運動家,母はインド・ザンビアン銀行の会長である.」とある.
彼女は,米国ワシントンD.C.にあるアメリカン大学で化学の学士号と財政学のMBAを所得,ハーバード大学で修士号,そしてオックスフォード大学で経済学の博士号を所得.その後,世界銀行で開発援助の仕事に2年間携わった後,世界最大級の名門投資銀行であるゴールドマンサックスで8年間グローバルエコノミストとして活躍した,という超エリートな経歴を持つ.
すいませんが関係者以外は・・・
その彼女が提言するのが「アフリカ援助不要論」.「欧米からの”施し”(ほどこし)は,百害あって一利なし」,であると.(英字の原文)
要約すると,「歴史や統計などを見ても明らか.援助すればするほど貧困度がひどくなってきている.なにかがおかしい.」「それは,欧米主導の支援が更なる汚職の原因になっていて,貧困や紛争地域の社会問題をより複雑にして,それが物価上昇につながり,その為現地の人による自立が損なわれている.結果として,状況が悪化していっている.」
アフリカの貧困撲滅キャンペーンをしている英国人ロックスターや米国人ハリウッドスターについて意見を聞かれた時,彼女はこう言っている,「マイケル・ジャクソンが信用危機の解決策についてアドバイスを始めたら,英国人はイライラするでしょう?歌手のエイミー・ワインハウスが不動産危機を終わらせる方法を語ったりしたら,米国人は怒り出すでしょう.アフリカ人だって,(専門家でない人にアドバイスされたら)むかつくのは当然だと思いませんか?」
おー,いい感じですね.僕はこういう風に物事はっきり言う人が大好きです.しかもこれは,欧米諸国が大きく権力をもつ「世界政治」の舞台で,アフリカ人による発言だし,今後の世界の世論の方向性としてかなり価値のあることだと思う.(関連ブログ)
「あー,アフリカは悲惨だ.飢餓だ,貧困だ,紛争だ,かわいそうだ.だから援助が必要だ.よしそうしてあげよう.」的な,今までの世界の常識をかなり覆している.これは,アフリカ出身の彼女が言っているところに,かなり意義があると思う.
そんな彼女は,今年の5月に Time Magazine の「世界で最も影響のある100人」に選ばれている.

数の論理
いろんな「常識」をあなたに今まで教えてきた周りにいる「社会人」や「普通の人」と呼ばれる人たち.こういった人たちを日本では多く見かける.いわゆる多数派である.しかし,目を世界に向けると,彼らは少数派じゃないかと思うし,一つ気付くことがある.
彼らは社会的に比較的強いとされる存在である.それではなぜ,この層の集団的意見は強いのか?
あなたなりに,もう一度考えてみてください.周りの気の許せる仲間と話し合いをしてみてください.
そして,その彼らの殆どが情報源としている新聞やTVニュースに代表される「マスメディア」.この今の「マスメディア」,これの目的は一体何なのだろうか?
もしあなたが,この「マスメディア」を使うことが出来れば何を作って広告宣伝しますか?いろいろ考えれますね.”ウケる”という共感を得るために作ったものに色をつけて,ストーリー性つけて,効果音を入れて.出来上がる作品は,いろんなアプリを使って,プラグインを使って,かなりレベルが高いでしょうね.
はい,じゃあソレが「情報」や「記事」そのものだったとしたら?
パブリックコントロール
実際に日本の社会人の多くが信じて疑わないニュースや新聞の殆どの仕入れ元は,欧米の機関である.当然,どんな問題や出来事を”国際ニュース”として取り上げても「彼ら」寄りの意見になってしまう.
彼らは,日本人と比較すると,かなり自己主張の強い文化をもっている.伝えたい気持ちが強ければ,ソレをちゃんと効果的に伝えることの出来るスキルを持っている.これは,ビジネスで欧米人と渉外する人ならわかるだろう,どれだけ彼らが我々日本人と比べてスピーチが巧いか.
遠慮がちが良しとされ,間接的な表現が美しいとされている文化で育っている我々とは比べ物にならないぐらい,彼らの言い方と伝え方は巧い.学問の世界「アカデミア」でも,どれだけ論理的にスピーチできるかの「ディベート」の授業もある.それは,世界的ビジネスの場でも活きている.実際に,世界的に有名な企業や大学など,強い影響力を持っているもの多くは欧米系である.
ここで一つ考えてみて欲しい.もし,そんな人たちが「何かの意図」を持って「情報」という名前の作品を「マスメディア」と呼ばれる宣伝広告で世界に垂れ流していたら.
その国際ニュースは,事実なのかそれとも彼らの目的の為の視聴覚的促進ツールなのか.
もう一度,あなたの周りの「常識」を説いてくる「社会人」や「普通の人」をよく見てください,よく聞いてください.そしてよく考えてください,あなたが彼らから見聞きしている”ソレ”はリアルなのか誰かがすり込んだものなのか.
・・・先ずは,「彼ら」と総称される人たちが言ってきたことを今一度考え直してみましょう.
「私が思うに,実際にあなたたちが言って いる”ソレ”は誰かがバイアスかけてるものをまんま信じ込んでるだけではないのですか?」
そして全部受け止めよう.そこからは,自分が何できるか,何したいか.

世界への興味
私 Nochi は,世界がどう動いているのか興味を持っています.これは今までの経験がそうさせてる.20 代という,人生においてその人のスタイルの土台となる時期に,カリフォルニア,コスタリカ,メキシコ,インド,京都,ニューヨーク,そして現在は東京,と住み歩いてきた.
日本帰国後でも Ken-U さんや Ma$amatixxx さんとの会話の中にでも,ちょくちょく関連のトピックがあったりでかなり学ぶことが多く,彼らの観点に直接触れれること自体貴重だ.
自分でも,実際は生活に追われてままなっていないけど,時間があるときに新聞やオンラインニュース読んだり各種の雑誌などに目を通して,出来るだけこのグローバル社会の中「誰が」「何を」「どうしてる」のかをいろんな観点から見るようにしている.なぜなら,世界の政治経済を背景にした国際社会を知る上で,日本のマスメディアだけを見聞きしてると,この「誰が」「何を」の部分がどうしてももう一つ物足りない.スタイル的に「~がありました」で終わっちゃってて,「何で?」という核心の部分にまで迫っていない気がする.いや,国際ニュースに関して言えば,彼らはそういった観点で掘り下げること自体やっちゃいけない”立ち場”にいるのだと思うしかない.
インディペンデント国際ジャーナリスト
私はアメリカ滞在中の 2000 年頃から「田中宇の国際ニュース解説」というサイトの定期読者になっている.2001年の9.11頃には,私もかなり「誰が」「何の為に」あれを起こしたのか興味があり,いくらCNNや日系の新聞などを見てても腑に落ちなかった部分について,かなり助けられた.
この田中宇(たなかさかい)さんは,かなり興味深い.オンラインから世界中のニュースに目を通し,一本の記事を書くのに何十時間もかけて分析し,日本語,中国語,韓国語で報道している.著書も多くあり「ハーバードで語られる世界戦略」(共著)や「仕組まれた9.11」など,世界情勢やジャーナリズムなどに興味ある人には読み応えあるものをいっぱい出している.
とにかく「何かおかしい」と感じている人で,世界の動きが気になる人はかなり役立つと思う.彼の言ってることは,まじやばいです.
例えば,1.「テロの多くは米・欧・イスラエルの当局が誘発」,2.「アルカイーダはCIAによる詐欺話」,それに,3.「新型インフルエンザには欧米系大手製薬会社の影」などなど.
今日は,最新の配信から気になったことあったし,ちょっとみんなと共有しようと思います.
"米国オバマ大統領の外交顧問である国際戦略家のズビグニュー・ブレジンスキーが米新聞ニューヨークタイムズに発表した「世界的な政治覚醒」という論文では、米政府の隠れた戦略として、世界の人々の反米感情を煽って世界的な政治覚醒を進め、世界が米国の支配から独立していくように仕向け、世界体制を単極型から多極型に転換させようとしている"...
ここら辺までは,国際情勢に詳しい人たちの間では仮説から共通認識になりつつあるみたい.
さあ,あなたもマスメディアの言うことは鵜呑みにせず,「報道」そのもの対する見方のシフト始めてみますか?
「最近また自由を」に対して再考はじめた Nochi です.
今日の DGA では,今までの様な「過去の出来事や見聞録」的な観点から離れまして,「今」!
現在住んでるのは浅草で,台東区墨田区に代表される「下町」.休日には「外人さん」連中に混じって多くの私の様な「非下町人」もいっぱい押し寄せる.
そして,私が時間ある時にお出かけしたり遊んだりするのは渋谷・六本木・池袋・青山だったり・・・ もう何をもってしてアップタウンなのかダウンタウンなのかネオトーキョーなのか,とにかくストリートでは・・・
夜でもネオンで眩しくて 外で本読める
終電過ぎ 未だ多くの人でごった返してて
深夜なのに 両サイド 2 列のタクシービジネス大渋滞パブリック酔っ払いマンたちのパラダイス
腹に響くフロアのベース
バーカウンターでのアイコンタクト
サイドウォーク聞こえてくる複数の外国語
訛りハンパない彼らの英語
商売っ気しか感じれないカタコト日本語
「肌露出セクシーレイディー=客待ちフッカー」 ココではただの先入観で
「ダークスーツ姿の男=上級ビジネスマン」 この方程式も成り立たない
で,周り見渡せば実は我々のほうがマイノリティーだったり
じゃあ,俺はジャパンマンなのか母国語がジャパニーズのチャイナマンなのか...
65 年前,広島県呉にて仕事で戦艦造ってた俺のじいちゃん,もし生きてて今のトーキョー都心を見たらかなりくらうだろうなー.
とにかく,グローバリゼーションの最先端の一端を担ってる「あそこら辺」のカルチャーが,今の私のメインのフィールドワークの場所の一つ,それは ting called, Tokyo Educatoin of Midground.
誰も「これはこうです」とは教えてくれないけど,街が,ストリートが,そしてそこにいる人たちが唯一無二の教材で”先生”.スリルでエロティック,シリアスティングでグローバル,エキサイティングでリアルなライブの社会教育.
「おはようございまーす! いつもお世話になってまーす! また,ヨロシクお願いしまーす!」 な日々を送ったり,「いらっしゃいませー」言ってみたり,...what the fuck??? are you fuckin stupid? なことをされたり目撃したり,帰国してからの 2 年間何とかサバイブしてきましたね.
my mental, cocoro, went up and down like a roller coaster
母国の人たちの中にもう一度溶け込もうと自分自身を「再日本人化」へ向け再調整もした.観点からして違う自分の意見を”素直”に述べる前に「じっくり聞く」ことから話し手の言葉の向こう側を求めたり,家族や友達それに当時の教師連中が10 年以上前に教えてくれたことを思い出したり,集団の中では「空気を読む」をしてみたり・・・,
でも結局それは自分の感覚を二の次にしてて自分自身に「ガマン」というストレスをかけてることに気付いたり,いやーでもやっぱ成長して何かスタイルを確立する為にはソコを通り過ぎないとお話になりませんなーと自問自答したり,
・・・また今は「ココらへん」にいます.で,今知ってるのは,努力とガマンはアクション的には一緒に見えても内容は全く異なるもの.心の持ち様がぜんぜん違えるもんね.で,周りとの対人関係もそうじゃないかな.
「義理・人情」と「お付き合い・愛想」,それに「本音」と「社交辞令」,
何が必要不必要は自己判断で.
live straight, clever diplomacy, get a tact, with passion, give it up? change a direction, idealistic or realistic, why dualism tho? keep doing what you've been doing, n stop doing that shit, or just remain still...
...almost there, i know. get physical, just get sweat.
>> Continued from an previous article.
Facing own contradiction: 矛盾と向き合う"No Struggle, No Stress" isn't always true when it comes to dealing with our own contradiction, of course you gotta be cool and chilled tho.For get-away vacations, an peaceful atmosphere is what you want. Manuel Antonio too offers that nice n cozy vibes. However, this element can be disturbed by people from outside the community. And I think this has been happening ever since the beginning of human migration.I remember that I was kinda irritated and felt discomfort when a group of young Gringos were around. Backed up by the power of the US dollar, many of them looked so disrespectful for the local people n nature. I knew they are a kind of people who work straight n pay taxes as good middle class back their home country.Every time I saw young gringo persons throw a trash or bottle or even talking arrogantly to locals, it was just so disgusting. During my stay, I often encountered this type of people: young n light skinned, n usually grouped up. This made me think of Japanese tourists in South East Asian countries.And looking back, now I can accept this thought come in my mind... I'm the same shit, no?Let me think one more time. Who were they who caused these Coastal Development Issues environmentally n emotionally? Tourists, back packers, foreigners, n vacationists like myself, basically those outsiders with money were the ones who would be the main cause in this little beach community.Wow, how contradicted I was. It was so easy to point out at them n talk shit like criticizing. Yet it took me at least a couple of years to realize that I was the same middle-class stupid spoiled brat in the eyes of others. I couldn't see anything at that time.We are all intertwined and linked with each other, even if it's not seen. We all have feelings, doesn't matter in home or foreign countries. Because of this, we can live at the fullest. And all types of social issues exist because of this too.分かる?分からない?分かりたくない?それか,そもそも見たくない?I remember a conversation between one local and I.One sunny day, we were just chillin under the palm shade. He looked at shoreline n pointed out at a group of Gringas having fun, and he said,"They come here romping around, get drunk n caused some troubles. But they buy me beer, buy me food, n give me sex. Everything free.""I teach them how to surf, have them take my boat, and rent out them parasols. That's how I earn my living here. Many of us locals live off of like that."Summary: 要約I think that we all have unseen relationships with those around. Ultimately, perhaps we all rely on and influence on each other.However, in this time, we youth n global generation gotta take care of some kind of awareness. For the positive future, we gotta show respect for others. And I believe that's where all development n betterment come to a movement. And this will be later called "culture".とにかく,世界に向けて,俺たちがグローバリゼーションだ!
Courtesy of Adrian Almquist
>> continued from an previous article.Today's topic is a short story of a Costa Rica's small beach community I stayed back in the day.
Intermediate Latin America 203: Costa Rica, Rich Coast
Manuel Antonio: マヌエル・アントニオ
During the dry season, 2003, I often stayed at a genki, or 元気, Mexicana Roxy's Apt. in Manuel Antonio, a petite village by the Pacific. Manuel Antonio is known among Ticos for one of their popular get away destinations.
As I visited there more n more, I started to see some issues. One that was obviously going on was a Coastal Development Issue.
More people come into the area, more business chances will come too. So those with capitals, predominantly Europeans n Gringos, would buy a land n build a condominium or a nice villa for business purposes. The community appeared to be etting developed as a nice beach town.
However, in the backside of their buildings, there were many puddles that colored dirty como greyish n smell like a sewage. That's right, drain was exposed n sewage was directly runnig outside the building into near by stream.
Manuel Antonio was just getting developed for those visitors like myself n many other foreigners as well as Ticos. Ironically, the more people enjoyed relaxing Ecotourism boom, more issues arose.